保問研の歩み

◆保問研の誕生

保問研は、日本による中国東北部への侵略戦争がすでに開始されていた時期の、1936年(昭和11年)に、東京で発足しました。戦争が全面的に拡大する 直前のことでした。保問研は、子どもを社会の矛盾を抱え込んだ存在としてとらえつつ、それらを解決する「新しい保育の体系」の実現を目指しました。そのた めに保育実践を重視し、保育者自身を研究の担い手とし、実践者と専門研究者が共同するという全く新しい研究団体として誕生したのです。「保育を科学に」し ようとする最初の取り組みでした。
創立期の保問研は、子どもを社会の主人公に育てようと、「社会的協同精神」を育てる「社会協力」を大切にしました。それは、民主主義をつくり出そうとする方向性を持っていました。
しかしこうした保問研の、「保育を科学に」しようとする立場や、子どもを社会の主人公に育てようとする民主主義的な立場と方向は、当時の全体主義的で精神主義的な天皇制ファシズムのもとでは許されないことでした。
8年間の活動の後、1943年には、保問研の会長であった城戸幡太郎をはじめとする多くの会員たちが、「治安維持法」(民主主義を犯罪とする法律)に よって逮捕投獄され、保問研はついに活動を停止せざるを得なくなったのです。戦争は、保育についてのまじめな研究さえをも抑圧したのです。

◆戦後の保育を創造した旧保問研会員たち

戦前の保問研には、若い情熱にあふれる保育者たちが多く参加していました。戦後の日本の保育を創造的に発展させる上で活躍した人たちの多くは、戦前の保問研の会員でした。
戦後の民主主義のもとで、戦中の困難な時期に科学的で民主的な保育を目指した人たちの願いが、やっと実現することになったのです。
戦後の保問研の再建は、1953年のことになりますが、保問研の創立の時の精神はいまも大切にされています。その精神は全国の多くの仲間たちの共感を呼 び起こし、次々に全国各地で保問研がつくられ、いまでは全国的な広がりを持ち、お互いに協力・共同して活動する組織になっています。

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